酒田市勢要覧「出羽の京(みやこ)、酒田」より

  芭蕉の時代から
変わらない
酒田の自然の雄大さ
古い和歌に詠み込まれた名所を巡る
『おくのほそ道』紀行で、芭蕉が酒田を訪れたのは、
元禄2年の夏のことでした。

C 松尾芭蕉 1644年〜1694年
まつお・ばしょう
俳聖と称される江戸時代の俳諧師。紀行「おくのほそ道」における旅の途中、酒田に逗留。この時に詠まれた句は、日和山公園に句碑として残され、多くの文人墨客の作品と共に「文学の散歩道」を形成している。


暑き日を海に入れたり最上川

 芭蕉が大石田から最上川を下り、出羽三山詣でを果たして酒田に到着したのは6月13日(新暦7月29日)のこと。当時、酒田は西廻り航路によって急速に発展し、大いに賑わっていました。この句は、芭蕉が日本海に注ぐ最上川の姿を眺め、詠んだものです。

 その後、芭蕉たちは念願の象潟に足を運び、再び酒田へ。翌日に行われた歌仙は、芭蕉の発句で始まりました。


温海山や吹浦かけて夕涼み

 この句には「最上川で夕涼み」「象潟から戻る途中の十六羅漢付近で着想」「温海山は鳥海山のこと」など諸説ありますが、夏の庄内海岸のダイナミックな風情が漂う一句です。

 近江屋三郎兵衛宅の納涼会では即興の句を詠み合いました。


初真桑四にや断ん輪に切ん

 もてなしの真桑瓜を前に、「句のない方は召し上がれません」との発句を受け、初物の瓜を縦に.4つにしようか横に輪切りにしようかと思案する芭蕉。この句会の懐紙「玉志亭唱和懐紙」(本間美術館所蔵)からは、真桑瓜を前に和やかに楽しむ人々の様子が伝わってきます。この2日後、芭蕉は酒田を後にしました。

 当初、芭蕉にとって酒田は、出羽三山や象潟のような旅の目的地ではありませんでした。それにも関わらず計9日もの滞在となったのは、酒田の人々との温かな交流、そして日本海や最上川、鳥海山の雄大な自然に心が打たれ、癒やされたからではないでしょうか。

 それから三百余年が過ぎた今も、芭蕉が詠んだ酒田の自然は、変わらず雄大な姿を魅せています。