酒田市勢要覧「出羽の京(みやこ)、酒田」より

  多くの芸術家が
思慕する
わがルーツは故郷にあり
写真家、土門拳の故郷である酒田は、
芸術文化の分野でも独自のルーツを持ち、
本物に親しむ誇り高い文化性が継承されてきました。

D 土門拳 1909年〜1990年
どもん・けん
酒田市生まれ。日本の写真界で「リアリズム写真」を展開。「カメラとモチーフの直結」「絶対非演出の絶対スナップ」を手法に多くの代表作を遺す。全作品を収蔵した「土門拳記念館」は日本初の写真美術館として昭和58年に開館。


 日本の写真史に名を残す土門拳は、明治四十二年(1909)年、酒田町鷹町(現相生町)で生まれました。幼い頃、両親は出稼ぎへ、台町(現日吉町)の祖父母に育てられ、六歳の時に酒田を離れてからは、長い間、故郷の土を踏むことはありませんでした。

 昭和三十二(1957)年、土門は『婦人画報』の企画で「山王まつり」の撮影のため、約四十年ぶりに酒田を訪れます。土門は生まれた町を歩き、人々と交流をかわすうち、懐旧の念を抱き、故郷との縁を再び紡ぎました。

 当時、土門は写真家としての葛藤と模索を経て、一つの写真論を確立した時期でした。それは”今”を直視し、虚偽のない世界を捉えた「リアリズム写真」。モチーフには『古寺巡礼』のような恒久的な美しさもあり、『ヒロシマ』のような事実の記録もあり、相反して見えるテーマから土門は一貫して「日本」を伝えました。撮影には並々ならぬ執念と不屈の精神で臨み、その姿は「鬼」の異名をとったほど。しかしその命がけの撮影は身体を蝕み、度重なる脳溢血に倒れます。昭和四十八(1973)年、土門が酒田を再訪した際には右半身不随となっていましたが、清水屋デパートで開かれた展覧会にはファンが詰めかけ、土門は車椅子で握手やサインに応じました。翌年には酒田名誉市民第一号となり、全作品を酒田市に寄贈すると発表。この時、日和山公園を訪れた土門は祖父と過ごした日々を懐かしみ、「ああー、日和山はいつ行ってもうるわしい」と自著に書き残しています。

 日本を愛した土門にとって酒田は、変わらない美しさのある愛郷の地でした。そして土門が命をかけて遺した写真という芸術は、人々の心に忘れてはならない「日本」の心をいつまでも問いかけています。