湊町さかた観光ガイドテキストブック 「ぐるっと、酒田 まちしるべ」

第五章 寺町界隈
2.河雲山 海晏寺

歴史
 曹洞宗のお寺です。本尊は釈迦牟尼仏、開山は応永元年(1394)開祖は湖海理元和尚、酒田で一番古いお寺です。宮野浦から移転し、数度の移転後、慶長18年(1613)現在の地に移転。「かやじさん」と呼ばれます。一年遅い持地院も同じ人が開山し兄弟寺です。正徳寺は三世が開創。

三重塔
 平成11年、高さ30mの三重塔が建立されました。伝統様式を引き継ぎ、卓越した技術ですばらしいものが出来上がりました。建造は、数々の神社仏閣の建造を手掛けている株式会社モトタテです。寺町のシンボルになりました。

黒光りする二つのお堂
 本間家三代光丘が寛政9年に多額の寄進をして、京都で作らせ海路で運びました。本間家の金色の紋が鬼瓦に彫られています。平成6年に改修工事がおこなわれました。
御経堂 輪蔵があります。輪蔵は、お堂の中心に軸をたてて、八面の経架を設け、一切経を納めています。これを一回転すると、一切経を全部読んだ功徳があるとされています。この一切経は本間家五代光暉が寄進しました。本間光暉の木座像がお堂の中にあります。
釈迦堂 涅槃像は、京都で三代光丘が作らせた銅製の寝釈迦像と、青銅の阿弥陀三尊仏があります。この横たわり方が亡くなった時の北枕の由縁になったといわれ、頭が自分から見て左になっています。本間光丘の木座像がお堂の中になります。

座禅堂
 海晏寺は酒田のお寺さんの中で、一番檀家が多いそうです。曹洞宗の名刹で座禅堂もあり、参禅会を開いています。本間家三代光丘は、脇寺の瑞泉庵と聖徳太子堂も寄進しました。建物はなくなりましたが、太子像は座禅堂にあります。

六道地蔵
 道沿いに赤い前掛けと帽子の六道地蔵があります。スマートな形のお地蔵さんです。六道とは仏教において迷いあるものが輪廻するという、6種類の迷いある世界のことをいいます。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上があります。

酒田の歴史に残る海晏寺の記述
施粥所 天保飢饉の時、海晏寺に施粥所を設け、誰彼となく施しました。
本間家の参り墓 菩提寺ではありませんが、本間家参り墓があります。
本間家の初代源光の妻と育ての親と実母の三女性3人を祀っています。
トーマス・スミス 松山藩の斎藤千里は、酒田で病死した貿易商館員だったトーマス・スミスの英文の墓碑を建てました。第二次世界大戦の時は敵国人の墓なので、 石灰でおおわれたそうです。
鳴鶴学校 明治8年7月、三島通庸により「鳴鶴学校」が海晏寺に開校し、11月 に亀ヶ崎城跡に移転しました。
酒田聾学校 昭和23年6月30日、海晏寺境内に酒田聾学校と寄宿舎を創設。

* 聞き取り協力/平成25年7月24日 酒田市観光ガイド協会*

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