湊町さかた観光ガイドテキストブック 「ぐるっと、酒田 まちしるべ」 |
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第五章 寺町界隈
3.本長山 妙法寺 |
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歴史 |
法華宗のお寺です。応仁元年、東光院日盛聖人が今の古湊地区に創立。4年後は550年の節目の年になります。古湊は風砂がひどく、元和8年に移転しお堂を作りました。現在より南、今のセントラルホテルの辺りです。その並びには、寺が左右にあり、敷地も狭く火災の不安もあり、元禄11年、妙法寺中興の第11世日永は、北側の土地3万坪を酒井のお殿様に譲り受けました。酒井家の准菩提寺で、酒井家の裏紋を頂き寺紋としています。 |
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祖父山 |
酒田の外れで、一面の砂丘地で、風が吹けば砂が飛び、荒れた土地だったと想像します。そこで、西北に簀垣を作らせ風砂を防ぎました。しかし簀垣の下に土砂が堆積し、更に簀垣を作ったので歳月と共に大きな丘阜となり祖父山と呼ばれるようになりました。寺男のジジが砂を運んだので、ジジヤマと呼ばれたとも言われています。この山の下通りを祖父山下といい発展しました。この辺りは砂丘地で、妙法寺の敷地には大きい砂山がありました。酒田駅建設地は湿地帯で、この砂山を削り取って運んで埋め立てました。 |
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広大な敷地 |
現在の参道はセントラルホテル脇の小路の石段から始まり、そこが正門になります。妙法寺の切り通しを通って二つの脇寺を通って本堂に向かうというのが元来の形です。現在、途中で道路が挟んで中断されていますが、昔はなくて三万坪の広大な敷地全体が妙法寺でした。 |
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酒田十景「妙法寺鐘」 |
妙法寺の鐘の音は、浄土の鐘の音でした。十景には桜、祖父山、釣り鐘、題目塔など、現存する物が描かれています。 |
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七曲山稲荷神社 |
祖父山という砂山があった頃、七回曲がって登って来たので七曲りとされたそうです。稲荷神社と寺が同一敷地内にある神仏混合です。沢山の赤い鳥居は、祈願される方が奉納し増えました。 |
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クロマツ植林の歴史と子産(な)させの松 |
妙法寺のクロマツは300年程前、風砂を防ぐ為に能登から植林され、酒田の黒松の元祖と言われています。植林事業は本間光丘よりも早く着手しました。高さ20m、根元の回りが4mと、特に「子産(な)させの松」といわれて、安産に御利益のあるクロマツが一番太くなりました。「子産(な)させの松」の言い伝えの一つとして、生活に疲れた若い妊婦がこの松の木に首を吊って死のうとしたが、死ねずにいると、通りかかった油売りの男(お婆さんの説もあり)が、思いとどまらせようとせずに、首吊りの要領を教えてやるといって手本を見せ、誤って本当に死んでしまいました。それを見て妊婦は急に産気づき、玉のような赤ん坊を安々と産んだという言い伝えがあります。 |
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櫻井先生報徳碑 「子産(な)させの松」からでしょうか。産婦人科の先生の石碑もありました。 |
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文芸人の石碑 |
「夢なれや過こし年の月も花も」この句を詠んだ岩二は、美濃派の俳人でした。妙法寺付近に住み、清貧に耐え、その中でも陽気さを忘れない人だったといいます。日和山の文学碑の一つ「よそごとに時の鐘聞く月夜かな」の宝夏静は、妙法寺22世住職。松尾芭蕉が酒田逗留の際に宿泊した伊東不玉の墓碑、箏曲師範山木小磯や謡曲師池田大観の碑もあります。 |
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明和3年と天保14年に建立された題目塔 |
「南無妙法蓮華経」を唱えることで、幸せになるという教えの中で、題目塔は題目を唱える人々が建立した供養塔のことをいいます。妙法寺にある二つの塔は、「鬚題目」で書かれた立派なものです。 |
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蓮池にたたずむ観音像 |
寄贈して頂いた観音像です。蓮池は現在の住職が丹念に育て、ようやく根がついて、花が咲くようになりました。古代蓮ですのでお盆の間は立派に咲いています。妙法寺の住職は代々、境内を浄土のようにして人々の幸福に尽くそうと心がけ、桜を植えたり,クロマツを植えたりしてきました。 |
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松掛けの藤 |
大変な巨木です。5月20日の山王祭りの頃、松に絡み咲く幻想的で見事な藤が見られます。これは本当に見応えがあり絶景です。藤に締め付けられて松が枯れないか心配しているところです。 |
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三烈士の碑 |
妙法寺公園にある庄内出身の旗本佐藤桃太郎、幕臣関口有之助、同天野豊三郎の石碑です。戊辰の役で、最後まで節操を貫き、佐幕派として処刑された若き魂を称え建立されました。胴体は妙法寺に、髪鬚碑は林昌寺、首は田川郡八ツ興屋の林高寺に葬られています。 |
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脇寺、学仙院と真量院 |
学仙院の加藤雪窓作、幽霊之図の掛け軸 幽霊の女性が、生きて元気に笑っている赤ちゃんを抱いている掛け軸をお盆にだして見せています。 |
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妙法寺の幽霊 |
今の参道入り口の石段の辺りに、夕暮れ時に毎日のように豆腐を買いに来る、若く美しい人がいました。見かけない人だったので噂となり、後をつけてみると、女性は妙法寺の山門をくぐり、暗い境内に入って墓地で姿を消しました。そこは、最近亡くなった裕福な商家の若奥さんの墓でした。乳飲み子を残し亡くなったので、子供を思い豆腐を買いにきたのだろうと言われたという話です。 |
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抜け道や小路 |
広い境内は抜け道が多く、近道として通っている人もいます。 |
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中央東町に抜ける小路 |
清水製パンに抜ける小路 |
戸野町に抜ける小路 |
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* 聞き取り協力/平成25年8月22日 妙法寺副住職* |
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