湊町さかた観光ガイドテキストブック 「ぐるっと、酒田 まちしるべ」

第五章 寺町界隈
5.亀崎山 浄福寺・前田山 善称寺

歴史
 真宗大谷派のお寺です。本尊は阿弥陀如来。文明7年(1475)宮野浦に本願寺道場を開きました。文明5年に蓮如上人が、東北布教のために明順を派遣しました。明順は肥後菊池家の一族である菊池武明で、明順が開祖です。天文年中に宮野浦から、亀ヶ崎城下に移り山号を亀崎山としました。その後、寺町に移転しました。

浄福寺唐門
 酒田市指定文化財です。本間家三代光丘が死去する前年、寛政12年(1800)、京都東本願寺の宗祖廟を模し、関西から職人を呼び寄せ、独力で寄進しました。江戸時代、自分の為にお金は使えず、華美な格好も出来ず、贅沢なお雛様も作れない贅沢禁止令がありました。それで芥子雛ができたり、神社仏閣に贅沢な寄進が行われました。
 唐門は、耐震構造になっている為、幾多の災害にも耐えて現在に至っています。この唐門の魅力は三つあります。屋根が流麗な唐破風であること、格式が高い天井の様式である二重折上小組格天井であること、四脚向唐門で腰長押から下が広がり外傾し耐震構造であることです。
 脚の木材が1本なのか、途中で継いで1本になっているのか、寺社建築で有名な(株)モトタテの富樫相談役さんに伺ってみると、太い一本のわざと曲がった木を、このように生かして作った脚で、その為に踏ん張りに強い構造になるそうです。もし継いで柱を作ると、大木の為、長い継ぎ手が必要で、腰長押から継ぎ手がはみ出し、継ぎ目がわかるはずだと云うことです。この柱は自然の曲がりそのものです。京都に行くとよくあるそうです。建物に木をあわせる場合と、木に建物をあわせる場合があり、曲がった木からとると木目がきれず、踏ん張りも効くということで使われているそうです。又、修復にあたって綿密な調査をした故渡部喜代太氏によれば、贅沢な造りなのに、肘木のまるめ方が曲線ではなく直線であったり、寸法の出し方が木割法ではなく、独自の破天荒なものであったり、蟇股が正面の梁の上ではなく背面の梁の上にあったりと、この唐門の疑問点をあげています。しかし唐戸の彫刻、二手先斗栱(にてさきときょう)結組、正面獅子鼻、象鼻など、大変立派な唐門です。昭和に修復工事を行いました。最初に作られた瓦は、屋根の流麗な形に合わせ瓦の大きさを割り出した特別の瓦だったようです。鬼瓦の裏に福井山町の銘があります。

本間家代々墓
 本間家は菩提寺である浄福寺に寄進を惜しみませんでした。代々墓には本間家の方々が眠っていらっしゃいます。繁栄の歴史が残るお寺です。

* 聞き取り協力/平成25年7月24日 酒田市観光ガイド協会*

前田山 善称寺
 浄福寺と共に、徳念寺、長専寺、善称寺、蓮容寺、晋明寺、雲龍寺支院があります。
 その善称寺の玄関軒下には、昔、亀の彫り物が、顔を下向きにして掛けてあったということです。日本海に大亀があがったという言い伝えに基づいて大亀を彫ったそうです。台風の時に軒下から落ちてしまいました。今は、座敷の中にきれいに保存しています。年代は不明です。
 酒田と亀の因縁は深く、大亀があがった事を記念し、最上義光は東禅寺城を亀ヶ崎城と名を変えました。縁起を担ぎ、鶴岡の大宝寺城を鶴ヶ岡城と名を変えました。

* 聞き取り協力/平成25年7月24日 善称寺関係者*

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