湊町さかた観光ガイドテキストブック 「ぐるっと、酒田 まちしるべ」

第一章 商人町界隈
3.本間家旧本邸・お店

本間家旧本邸の歴史
 この建物は、明和5(1768)年、本間光丘が二年近くの歳月をかけ、幕府巡見使本陣宿舎を建築、酒井家に献上した建物です。巡見使は将軍の代が替わる度に諸国を見回る役人で、十代将軍家治の時代に一度だけ二泊三日しました。その役目が終わり、本間家が拝領しました。
 建物は平屋で200坪、母屋桁行33.6m、梁間16.5m。棧瓦葺平屋書院造りの武家屋敷と商家造りが一体となる建築様式です。部屋は大小合わせて23室あります。二千石旗本の格式を備えた長屋門と、東側には薬医門があり、普段は「くぐり戸」だけを使用しました。家の中の敷居を境とし、商家造りと武家造りに分けられる珍しい造りです。本間家では境の敷居の戸を閉め、普段は商家造りの部屋だけを使用し、武家造りの部屋は冠婚葬祭の時だけ使用しました。士農工商の身分制度の厳しい時代、様々な功績が認められ士分を許されていましたが、本間家は商人ですので武家屋敷の方は使用せず、商家造りの方で生活していました。長屋門は特別な時だけ、家族はくぐり戸を使用していました。身分をはっきり区別して生活していたようです。
 昭和20年春、日本陸軍揚塔司令部「暁部隊」がおかれ、本間家は177年間住み慣れた家を離れました。戦後混沌とした生活をするにも大変な時代、市民にあけ渡し、昭和24年から昭和51年まで酒田市中央公民館となり、昭和57年に酒田市の依頼で観光施設として開邸しました。戦争をはさんだこの歴史を後世に伝えるため、あえて手を加えずそのままの姿で公開しています。

本間家の略歴
 本間家の職業は、商業、金融業、不動産業(地主)の三本柱でした。商業の面では、上方に船で主に米を運び、戻り船に多種多様な品物を積み帰り商売をしました。金融の面では、庄内藩や米沢藩、津軽藩、南部藩、水戸藩まで大名貸しをしました。本間家に支えられ、助けられた藩主は多かったようです。地主の面では、日本一の大地主と言われ、最盛期には3000町歩(田2000町歩を含み)の土地を持っていました。坪数900万坪、東京ドーム約626個分です。小作人が3000人以上いた時代もありましたが、小作人争議は一度もありませんでした。本間家は、酒田だけではなく、多くの人に利益を与え公益事業に尽くしました。終戦後、日本の農地改革は大地主であった酒田の本間家から始まり、残った田は4町1反の試験田だけになってしまいました。しかし本間家の偉業は今でも語られ続けています。

火災に強い家
 昭和51年10月29日、11時間に渡り、1800戸近くの建物が焼失する酒田大火が発生しました。隣も後ろも全部焼けましたが、旧本邸は焼けませんでした。その理由には、本間光丘が火事に遭わない工夫をしていたことがあげられます。屋敷全体を土塀で囲み、海風が吹く北西には門を設けず、二階建ての蔵が平屋の母屋を守る形で建てられています。軒は漆喰と銅板で囲み、火事にならないよう工夫がされています。沢山の木も防火の為に植えられていました。特に樹齢500年の大きな欅の木や、長屋門の右側に2本植えられた火伏せの木と呼ばれるタブの大木は効力がありました。タブの木は水分を多く含む木で「タブの木一本、消防車一台」と言われます。

外回りの特徴
 玄関前の笏谷石は、北前船で運ばれた石で水に濡れると青くなります。丸い石の並びは、雨だれが跳ねない工夫がなされています。1766年に光丘が土蔵の中の七つの神々を合祀し「七社の宮」を建立し、天下泰平五穀豊穣・酒田繁栄を願い代々拝礼をしています。「門かぶりの松」「伏龍の松」といわれる樹齢400年の赤松は、「奢り高ぶらず、常に低姿勢でいなさい」という本間家の精神を表しています。東側の薬医門は環貫を外さず、くぐり戸だけが使われました。南側の長屋門は二千石の格式を持つ武家の門で、常時閉門されていました。本間家旧本邸はミシュランガイドで星を頂いています。

別館お店(たな)
 元禄2年(1689)創業。芭蕉が酒田を訪れた年、本間家も「新潟屋」という看板をあげました。本間家の歴史は、初代の原光がお店を造った時から始まりました。元々は相模の出身、越後を経て酒田に来たことからの店名でした。江戸時代より増改築を繰り返し使われ、10年程前から天井などを張り替え展示施設になりました。お店では商人としての本間家を紹介し、帳場のコーナーなどで、実際使用していたそろばんや天秤計りなどの道具を展示しています。江戸時代、ありとあらゆるものを扱っていた頃の薬の看板も残っています。大きなソロバンは、両替商をしていた時に看板として使われたものです。道具の一つに、袖搦(そでがらみ)という珍しいものがあります。江戸時代に使用された長柄の捕り物道具で、着物の袖を絡めて捕まえたようです。江戸時代のお店も再現され銭函や上が二つ玉、下が五つ玉のソロバン。金庫の合わせダイヤルはイロハです。また、小さなアイテムや季節のアイテムなどお土産を多数取り揃えています。

*聞き取り協力  平成25年12月1日*

TOPページへ目次へ前ページ次ページへ