湊町さかた観光ガイドテキストブック 「ぐるっと、酒田 まちしるべ」

第二章 城下町界隈
6.縄文時代から亀ヶ崎城まで資料

庄内の遺跡 山地からの出土が多いです。それは、大昔、庄内平野は全部海でした。それが段々と埋まり、徐々に平野に進出してきました。その為、遺跡は山地から出土が多いです。平地でも黒森や飛島、生石などから出土はあります。しかし、最上川河口に発達した旧酒田町区域からは、一辺の石器も土器も発見されていません。それは、この地域がまだ新しく、縄文時代には人間が住めるような土地ではなかったことを意味しています。

城輪柵(きのわのさく)は、大昔は県庁のような存在で出羽の国の中心地でした。城輪柵の柱の遺跡があります。城輪柵の中心部より外側に、役人の生活スペースがあったようです。箸とか下駄とか井戸の跡等、将棋の駒も見つかっています。

豪族 豪族が荘園と呼ばれる私有地を広げ、国府の力は弱まりました。これが戦国時代に繋がり、自分の欲しい土地を治めていく時代になっていきます。この鎧は朝日山城主の池田氏が着用していた鎧だと言われています。昔は胴の部分に日の丸があって、腕とか足の部分に青い布地が張ってあり、前垂れは銀色、兜は金色だったようです。

擬宝珠 酒田十景に描かれる橋の欄干、擬宝珠です。亀ヶ崎城の遺跡は殆どなく、貴重なものです。地図の茶色の部分は、川や堀を示します。酒田町組の商人町と亀ヶ崎城の武家の町は、堀や土手で区別されていました。酒井氏入部でなくなっていきます。

*聞き取り協力 平成25年10月21日 酒田市立資料館調査員*

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