湊町さかた観光ガイドテキストブック 「ぐるっと、酒田 まちしるべ」

第三章 台町界隈
1.「台町」町歩き(小路を中心として)

秋田街道
 『現在の今町通りができる以前の秋田街道はあびこ観音堂前からまっすぐ厳島神社の境内を抜け、持地院森の山の下、キリスト教会の裏手を通り、白鷹クリーニング店へ抜ける細い道である。当時、その道端、厳島神社の境内に旅人の安全を願って道祖神が祀られていた。なお昔の秋田街道は観音さんの境内からアパートクレセント日吉の裏を通って小松菓子の裏まで続き、富樫歯科医院前に抜ける幅の細い小路(官地)としてわずかに名残をとどめている』 山岸勝美氏「続わたしの今町」

姿見小路
 香梅咲と相馬樓の間の小路から光國寺の境内を東に少し進み左に折れ、小松屋菓子店土蔵の後ろの小路(今は歩けず草むらになっています)までをいいます。名前の由来は芸者と馴染み客が別れを惜しんだとか、首切り処刑の行列が最後にここを通り今一度家族の最後の姿を見合ったからとも言われています。どちらにしてもやるせない小路です。元の酒田西高の辺りにあった酒田刑場の首切場の地蔵(台町神社仏閣に詳しくあります)は、明治35年に高校建設と共に、向かいの善導寺に移され今は赤子地蔵として祀られています。黒塀の間の小路は風情があり、いい風が吹いています。木々でひんやりとしています。花街の隠れ小路は、どんな歴史を見つめてきたのでしょうか。

春王山 光國寺(台町神社仏閣に詳しくあります)
 観音堂は庄内三十三観音の二十番目札所です。本尊正観音は元禄七年の作とされ、今町遊廓は観音堂を中心に発達しました。旧今町は、光國寺の東側に面しています。華やかな今町遊廓の面影を偲ぶことは難しいです。向かいに古い井戸が残されています。この通りには幾つかの井戸があり、井戸町とも呼ばれました。

観音小路
 光國寺に向かって右手の小路。厳島神社までの小路をいいます。昔のことですが、大阪商人の妾さんが多く住んでいたと伝えられています。又、この小路に加藤雪窓さんのご自宅がありました。加藤雪窓さんが明治26年に書いた山王祭り行列は、本間家所有で当時の様子が描かれています。

厳島神社(台町神社仏閣に詳しくあります)
 この境内から酒田大仏と教会が見え、神仏イエス様の三大パワースポットです。厳島神社は弁才天を祀っています。狛犬は北前船の影響がある出雲型です。今町遊郭や酒田の旦那衆から篤い信仰がありました。

旧今町
 厳島神社の東前は全国的に知られた今町遊廓があり大変な繁盛ぶりでした。1825(文政8)年の「諸国芝居繁栄数望」は、全国の芝居を番付にしたもので、前頭に「出羽坂田」があります。弘化4年、今町には大問屋相手の一流とされた遊廓が27軒あり、遊女が801名いたとされますが、明治27年の震災で遊郭は衰退しました。

弁天小路
 小松屋角から下台町までの厳島神社前のゆるい坂道の小路です。途中、右手に持地院(台町神社仏閣に詳しくあります)さん、左手に上台町があります。丘の上にある裁判所からは、持地院の境内や新町への通り抜けもできます。

見返り小路(子別れ小路)と囚人の小路
 裁判所前を右に曲がり、新町までの坂道が見返り小路、左に曲がると下台町です。小路の下に酒田遊廓の2.8mの大門があり、遊女と客が別れを惜しみ、お互いが見返った事から付いた名前と言われています。この小路の地蔵堂の右手には、人が一人やっと通れる細い小路があります。人目につかないように、編み笠、腰紐の囚人が新町北側にある刑務所へ連行される道でした。ここを通る囚人が、見送る身内を見返ったことからついた名前とも言われています。また、この町内では、見返り小路は「子別れ坂」と言われています。花街に売られる娘と親が、「松の山の地蔵」まで一緒に来て、娘は坂を下りて遊廓の大門に消えて行く、親子の別れの坂だったということです。お地蔵さんはこのあたりでは「子別れ地蔵」と言われていました。この坂は、どんな言い伝えでも悲しい坂です。

松の山の地蔵(子別れ地蔵)(台町の寺社仏閣に詳しくあります)
 この地蔵さんには、三途の川から戻った信心深いおばあさんの伝説があります。ここは住宅が密集しています。井戸を中心に狭い所に家が建ったためでしょうか。この井戸は酒田大火の時に大活躍しました。井戸をさらい掃除し、とってもいい水がでました。

見返り小路から招魂神社へ
 この小路には、日和山への階段が何本もあり、小路や坂道はそれぞれ風情があります。

日和山(日和山界隈に詳しくあります)
 この道を抜けると、旧白崎医院です。大正8年に建てられた美しい洋館は、酒田大火の頃も本町で開業していました。日枝神社の赤い鳥居の神額は西郷隆盛の書で、天台宗の教理と山を合わせて上が三角のデザインの赤い鳥居になったという話です。随身門は、東郷平八郎の書で、鳴き天井の欅を使った見事な建造物です。山王の森には日枝神社、光丘神社、光丘文庫、文学の散歩道、松林銘と酒田の歴史が点在しています。

下台町
 3.11の震災で倒れ、再建した光丘神社の鳥居を下って下台町に入ります。下台町は、町奉行中台式右衛門の名に由来しています。ここは本当に風情のある町です。片側に日和山を背負い、静かな昔の名残があり、寺町とも違った落ち着いた所です。
 和洋建築のお宅には、軒下に大縄が巻かれて吊されています。これは酒田の古いお宅でよく見られるものです。外塀の赤はベンガラでしょうか。
 下台町は、光丘神社鳥居、三角の屋根に瓦が乗った山王鳥居、光丘文庫、蓮尚寺石段、即身仏で有名な海向寺の正門の石段、手作りの製品を作り続ける市原醸造店工場と続きます。
(詳しくは日和山界隈にあります)

海向寺(台町、海向寺に詳しくあります)の階段を上り、酒田十景に描かれた鐘楼を見ながら、即佛堂を通り、旧小幡へ向かいます。旧小幡(台町、旧小幡に詳しくあります)はかつて料亭でした。有名人が宿泊し、今は映画「おくりびと」のロケ地として有名です。 

桜小路
 旧小幡を中町へ下る小路。桜並木がここにあったのか、公園の桜を見に行く小路だったのかわかりません。酒田十景にも日和山は眺望と桜の見事さで描かれています。俗謡に「花の今町、紅葉の出町、腰はシワイと柳小路、顔はほんのり桜小路、きりょうのいいのは弁天小路、そこに私が浜の町、町は荒町、芽出たい粕谷小路」とあります。

行突張小路(銀杏小路)
 小幡の東下、桜小路右、行き詰まりの小路です。

下荒町
 桜小路を下り、下台町と上台町の間です。斎藤魚屋さんの風干し鮭がずらりと店先に下がっています。創業明治36年、向かいの市原醸造店では、レンガ作りの煙突がある工場で、昔ながらの味を守っています。たぶの木の生け垣に黒塀という、酒田の典型的な町屋の造りのお宅があります。水分を多く含むたぶの木と黒塀は、西日や西風を防ぎ、火事の延焼も防ぎました。

上荒町
 下荒町と秋田町の間です。

上台町
 「台町」は町奉行の中台式右衛門の名に由来しています。この辺は、華やかな台町の飲み屋街です。今は寂しくなってしまいましたが、昭和の頃は遅くまでネオンがつき、二軒、三軒と梯子して歩く姿が見られました。上台町の景色は、傘福で有名な山王くらぶ、東北最古のキャバレー白ばら、廃仏毀釈の際に多くの仏像を救った佐藤泰太郎棟梁の千仏閣、映画「おくりびと」の舞台になった港座と続きます。泰太郎棟梁の作った港座の前身は日本一の芝居小屋で、廻り舞台や「せり」や奈落もあり、東北一といわれました。(詳細な記載あり)

山王小路
 上台町から下台町の山王の鳥居に続くへ小路。「山王社雨」と酒田十景に描かれた赤い鳥居が残り、寺町まで一直線で繋がっています。現在の舞娘坂も山王小路に入ります。哲学者伊藤吉之助はこの辺りの出身です。相馬屋、香梅咲、治郎兵衛と酒田料亭文化が漂う通りです。

肝煎小路
 下内匠町、伝馬町から上台町までの小路です。明暦2年の屋敷割をした時に、酒田の肝煎達へ一軒屋敷を税金のかからない土地として下し置かれ、下屋敷としたことからこの名が付きました。豆腐の南禅寺屋、蕎麦の田毎、日吉歯科が並んでいます。日吉歯科さんの黒塀は格調があります。この辺りに、いい井戸があるそうです。
 酒田伝統の町屋が何軒か残っています。どっしりとした構え、たぶの木に黒塀、連子格子と酒田の伝統です。軒下には、巻かれた大縄が下げられています。この大縄は大変古いもので、塞道の当番があたった時に頂いたものだそうです。大縄はその当時のまま掛けられ、少なくとも60年以上にはなるそうです。見上げると、下台町の海向寺さんと蓮尚寺さんを眺められます。いい感じの風情があります。
 道路にはめ込まれたプレートが、台町の町歩きを楽しませてくれます。

三浦旅館
  肝煎小路と伝馬町の十字路角に合同タクシーの跡地があります。ここは、明治時代、三浦旅館があったそうです。正岡子規、志賀直哉など多くの文人墨客が宿泊したそうです。

エノミ小路
 上台町から下台町へ、蓮尚寺へ続く小路です。下台町横小路、小右衛門小路とも言われました。エノミは樹木のことのようです。

下小路
 下台町と桜小路の十字路を右に曲がり、旧菊水ホテル前を通り、船場町までの小路です。猟師町西小路と言われたこともあり、酒田の西側にあり、猟師が多く住んでいました。下台町と船場町を結ぶ線になっていて、廻船問屋も居を構えました。船場町へは急な坂になっていて下小路坂といわれました。坂の角に玉勘さんと立派な町屋があります。

上小路
 下荒町と上荒町の間、上喜元前から船場町までの小路です。猟師町東小路と言われたこともあります。港に近い事から廻船問屋もありました。東西は鶴岡街道といわれ、船場町に下りる坂は急勾配で上小路坂といわれました。この小路にある橋本家住宅(台町界隈に詳しくあります)は、酒田酒造さんのお宅です。大規模な酒田の町屋です。

出町
 神明坂を上った東西の通りで、上小路の十字路までをいいます。ここから秋田町までを鶴岡街道といいました。船場町ができると共に栄え、鶴岡から赤川を下ってくる人で賑わいました。北前船の舟人もここを通って酒田に入り、交通の要所でした。大正の頃はここにビアホールがあり、神明坂はビアホール坂といわれたこともあります。出町を下れば神明坂、芭蕉坂(日和山界隈にあります)があり、上れば皇大神社です。

六軒小路
 鶴岡街道で上小路十字路から秋田町までの小路です。小さな小路ですが、大切な交通の要所でした。酒田の趣きある町屋があります。

*聞き取り協力 酒田市観光ガイド協会・資料抜粋*

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