湊町さかた観光ガイドテキストブック 「ぐるっと、酒田 まちしるべ」

第三章 台町界隈
6.銃弾が残る建物

鉄筋コンクリートの建物
 こちらのお宅は、酒田で最初にゴム製品を取り扱い、ゴムで作った合羽や生理用品を発明し、大変繁盛しました。当時、生ゴムは反物と同じように6尺物に畳まれ、貨物列車で届いたそうです。昭和8年にゴム製品の倉庫として、鉄筋コンクリートの建物を建てました。最初は地下1階、地上3階の予定でしたが、魚釣りの好きなおじいさんが日和を見るために、4階も作って楽しみました。窓は船のガラスを使い、観音開きでおしゃれな窓でした。一階には紫の丸いガラスが埋め込まれています。屋上に4ヶ所大きな電球を付けましたが、そこから雨が入り、4階は雨漏りになってしまいました。昭和18年、その電球を供出しました。昭和20年、日新電化が軍需工場だったので、大浜一帯が爆撃を受けました。この建物も爆撃を受け、銃弾の跡が、今もそのままの形で壁一面に残っています。この建物は外階段もちぎれ、危なくて4階には上がれません。大正14年に光丘文庫が出来て、昭和8年にこの建物が作られました。鉄筋コンクリートの建物として酒田ではかなり初期のものです。設計は誰かわかりません。元請けもわかりませんが、工事をした人として、林さんと滝井さんと庄司さんの名前が記憶にあるようです。どんないきさつだったのかもはっきりしません。

母屋
 昭和10年に松山の大地主、斎藤家から買い取って、建物を移築しました。山形の県庁の人が設計し直したそうです。料理屋をやめてからそのままです。
 照明に付いている紋と屋根の紋とは同じです。梁もこの太さでこの長さで一枚で回されています。しっかりした土台と柱でこの梁を支えています。今は物置になっていますが、茶室もあります。

 山王の森が借景となりお庭の樹木と繋がって奥行きを出しています。昔は鯉がいっぱいだったということです。

*聞き取り協力/平成25年7月17日  ご主人*

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