湊町さかた観光ガイドテキストブック 「ぐるっと、酒田 まちしるべ」

第四章 日和山公園界隈
6.旧白崎医院

旧白崎医院の歴史
 この建物は、大正8年から昭和53年4月まで中町2丁目で開業していた旧白崎医院です。酒田の医療に貢献した白崎重治氏と重弥氏の医院でした。酒田大火の復興事業で解体し、酒田市に寄贈されました。昭和55年に現在地に移転、市指定有形文化財です。デザイン、材料ともに優れ、しかも大正期の医院建築の原型がこれほど完全な形で保存されている例は少ないと言われています。一階が外科医院、二階が医師の住居という珍しい間取りで造られています。中に入ると、大変美しく保存されていることに驚かされます。大正8年より、戦争や大火をくぐり抜けてきた貴重な建物です。解体移築の際、天井の装飾の裏から設計図の一部が見つかったそうです。
 重治氏さんの医院開業にあたり、父の敬之助氏が建物を設計デザインしました。棟梁の小松友治郎氏は、大正14年に昭和天皇の御宿となった本間家別荘のお車寄せを作り、酒田の三大名棟梁の一人です。小松棟梁と敬之助氏は、この洋館作りに精根を注ぎ、横浜まで出かけて見聞研究し、立派な建物を作りました。小松棟梁は、敬之助さんの設計に忠実であろうと、敬之助さんのいない日は仕事を休み、指示を仰ぎました。洋風建築は酒田で初めてのもので、大変話題となり、敬之助氏は満足したそうです。敬之助氏は油問屋を営み、大変お金がありました。白崎家では医学を目指す学生に白崎資金医学振興奨励金を設け、その授与式は毎年ここで行われています。

箱橇(はこぞり)
 村上光子医師が使用した箱橇を寄贈して頂きました。箱橇は医師の往診に使われました。類似のものは一般の家庭にありますが、これは特に立派なものです。二人が前で引き、一人が後ろを押し医師が中に乗って往診しました。遠い所では八幡町升田まで出かけたそうです。自家用車が普及し始める頃まで使われました。

二階住居
 二階は家族の住居でした。窓は洋風、中は落ち着いた和風です。この建物には厨房、トイレ、病室がありません。別棟だったのです。家族の食事もそこで作っていました。この建物が大変きれいなまま残っているのは、そんな理由もあるようです。トイレも昔の日本の家屋と同じ外トイレでした。

旧白崎医院の建築の特徴
1. 基礎レンガの丸盛り上げ目地仕上げ。
2. 玄関入り口の真上、軒下の蛇腹の筋、歯形の装飾などクラッシク建築様式。
3. フランス製のライト。
4. 窓枠はワイヤーで上下し、どの位置でも止まります。
5. 天井下地はプレスした鉄板です。漆喰ではなく、ドイツで作られ運んできたと言われています。壁にも使われ、大変高価なもので、部屋毎に模様が違っています。
6. 手術室のライトはドイツ製です。手術室の天井だけが高い作りです。その為、2階のお部屋は一室だけ高さがなく物置として使われています。二つ手洗いが並んでいますが、形が違うことから、年代の違うものと見られます。

池田貞三文庫
 明治8年、八幡町升田に生まれ、酒田市本町三丁に居住する蚕業指導者で、池田正之輔の伯父です。明治38年29才のとき120冊の漢方医学書を譲り受けたのが契機となり、全国各地で講演のかたわら漢方医書を買い求めたり、篤志家からの寄贈により600余冊の蔵書を持ちました。
 昭和38年、後学者の研究資料としてその分散を防ぎ、保存したい一心から本間美術館に寄贈され、その後、旧白崎医院の移築保存に伴って本間美術館から寄託をうけ展覧しております。ガラスケースに大事に保存されているのが解体新書です。これは銅板で、その当時刷ったものです。原版は日本大学の医学部にあります。ここにあるのは医学書だけではなく多種に渡っています。この池田貞三文庫図書目録は大変貴重です。江戸時代の本は出版社ではなくて個人が出版しました。その為、本を出した年代や個人名など興味深いものが残されています。

*聞き取り協力/平成25年6月9日 酒田市観光ガイド協会・管理職員*

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