湊町さかた観光ガイドテキストブック 「ぐるっと、酒田 まちしるべ」

第四章 日和山公園界隈
7.慰霊の地

招魂祭殿(招魂社)
 明治14年、飽海郡と酒田の有志は新町に酒田町から寄付を得て皇大神宮奉齋会を作り、社殿を建築しましたが、明治27年の火災で焼失して、明治29年再建したのが、この招魂社殿です。社殿の中には戦争でなくなった英霊達の写真が飾られています。

やすらぎの塔
 かつて日清日露戦争の英霊碑がありました。しかし、太平洋戦争後に撤去しました。これに変わる英霊のやすらぎの塔が、昭和40年に制作されました。酒田出身の高橋剛氏の作品です。

斎藤元宏の碑
 酒田市平田山谷に生まれ。中尉に進みましたが陸軍大学を中退し、アジア平和の悲願から満蒙独立運動に参画しました。蒙古独立運動の指導的役割を果たし、大正5年5月25日興安嶺索倫の激戦で死亡しました。この碑は同期の石原完爾が建立しました。

酒田町消防組頭白崎良弥君之碑
 酒田市消防組の創設に尽力して、初代頭取となりました。先祖は酒田三十六人衆の一人。酒田の富豪越前屋と称しました。代々ローソクの製造販売をし、防火用水、警鐘を寄付したり、防火の為に瓦屋根を奨励しました。さらに定火消を組織し、大火を繰り返した酒田の防火功労者です。

甲午震災記念碑
 明治27年10月22日の夕方5時半頃、庄内大地震がありました。1747戸が全焼し、162人が亡くなっています。山居倉庫は前年の明治26年に完成ですが、堅固な作りで被害はありませんでした。昭和51年の酒田大火も10月29日の午後5時半頃で、1774戸が焼けて、同じ規模の災害となりました。大切な記録の碑です。

犬魂碑
 鳥獣供養塔の一種です。酒田には蚕やヤツメウナギ供養塔もあります。江戸時代、米を大八車に乗せて運ぶ時、酒田は坂が多いので、力の強い犬に綱をつけて引っ張らせました。そのことから闘犬も行われました。酒田畜犬愛好協会もあり、有名なハチ公の兄弟が2頭酒田にいたといわれています。

官軍兵士の墓
 明治維新最後の戦いとなった庄内戊辰戦争は、酒田町兵も動員して戦いましたが、9月23日降伏という形で幕を閉じました。その後、官軍兵が進駐し、中には病気や傷病で8人が亡くなりました。上日枝神社杜司斎藤清澄が慰霊祭を行い、墓がたてられました。島根や佐賀の人のようです。山王森の北東、光丘神社近くにあります。

*聞き取り協力/平成25年6月12日 酒田市観光ガイド協会*

TOPページへ目次へ前ページへ次ページへ