湊町さかた観光ガイドテキストブック 「ぐるっと、酒田 まちしるべ」

第五章 寺町界隈
10.鶏足山 天正寺

歴史
 曹洞宗の寺です。鶏足山の名は、鶏足山に建立されたという説と、鶏頭山から別れたので鶏足山となったという説があります。文明元年(1469)、向酒田に開創されました。その後、現在地に移転したようです。天正寺町という町名もありました。

本堂の彫刻
 鶏や獅子が彫られ、目に色が入っていて凄みがあります。

明治教育創施之處の石碑
 明治維新以後、明治2年6月、天正寺において学而館が開校し、明治4年に天正小学校になりました。その当時の事を碑文に残しています。

三郡震災死亡の大供養塔
 明治27年の甲午震災の三郡震災死亡の大供養塔と地蔵を祀っています。死亡727名と彫られてあります。

三十三観音菩薩
 番外の二体も合わせ三十五体の観音様が並んでいます。舟形の石仏群が三段に並び、最下段の両側には地蔵菩薩が座っています。三十五体の船方の石材に浮き彫りされた仏の多くは、千手観音のようなたくさんの腕を持っています。
 千石船型准胝観音像が1体あります。観音像には「明徳丸、石見、油屋末代吉」という文字が刻まれています。西廻り航路の安全祈願か供養のために作ったといわれ、船の形をした台座に乗る観音様は、18本の手でおぼれる船衆を助けるそうです。千石船が往来した酒田湊の繁栄振りがうかがえる石仏・船形観音です。知識があれば三十三観音を興味深く観ることができます。この三十三観音をお参りすると、西国に行脚したと同じく三十三観音に参りをしたことになります。浜畑にも三十三観音があります。


魚籃観音
 三十三観音の一つに数えら、手に魚かごを持っています。昔、中国に魚を行商する美しい女がいました。美貌にあこがれ、結婚を申し込む男が数多くいました。その美女は結婚相手を選ぶ条件に、法華経普門品、金剛経、法華経7巻を唱えられる人としたところ、それに応えたのが馬氏という男で、二人は結ばれました。しかし、実はその美女が観音菩薩の化身だったという話があります。

*取材協力/平成25年8月29日 天正寺住職*

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