湊町さかた観光ガイドテキストブック 「ぐるっと、酒田 まちしるべ」

第五章 寺町界隈
11.珠林山 正徳寺

歴史
 曹洞宗のお寺です。開山は長禄2年(1458)。開祖は鳳芝正全大和尚。本尊は釈迦牟尼仏。寺伝によれば長禄2年(1458)本寺海晏寺の第3世正全が創始。後方の砂浜にありましたが、最上氏時代に現境内に移転。明暦の図には面三十三間三尺、裏八十四間とありますが、数回火災にあい、記録を焼失しました。

女人成佛塔
 山門までの参道東側の三段になった高い台座の上に、聖観音像があります。この二段目の台座に「女人成佛塔」と刻まれ、その上の台座には「血盆経一石二百巻」とあります。血盆経とは女性の為のお経です。女人成佛塔という聖観音は珍しいもので、安政二卯年十月と刻まれています。六地蔵も並び、地蔵菩薩は病気平癒と子供を守る安産の仏様だそうです。

観音菩薩
 ユーモラスなお顔立ちの観音様が並んでいます。
聖観音
(あらゆる災い苦しみを救う)
如意輪観音
(六道の天上で衆生を救う)
千手観音
(無数の手で一切の人を救う)

保存樹
 立派な松の巨木があります。いくつもが酒田市の保存樹になっています。戦時中にこの松が燃料油として活用されたそうです。松根油が採れたようです。

本堂
 山門を入ると正面に本堂があります。

一銭地蔵
 現在の一銭地蔵は二代目です。初代の一銭地蔵は、酒田市本町出身である元の三井セメント社長が建立しました。自分の亡くなった子供の冥福を祈り、幼い子供の霊を弔うために延命地蔵建立を思い立ち、全国から一銭を募ったところ、十万人にのぼる人々から寄附が贈られ、昭和14年に開眼供養が行われました。その後、戦争で供出し、台座だけとなっていました。その志が息子さんに引き継がれ、昭和53年に二代目の延命地蔵が建立されました。台座は元のままで、初代に寄付した十万人の名前も埋め込まれています。

天保飢饉の宝篋印塔
 海晏寺に施粥所を設け、誰にでも施しをしました。天保8年9月に「天保四年以来の恐慌の窮民を救済した町奉行小川渡太夫と富豪本間光暉、白崎五右エ門らの徳に報いるために町民が建てる」とあります。この塔は門の前にあり、大正7年に現在の地に移し碑文を入れたので、大正戊午秋九月と銘記されています。

月見崎権三郎 墓碑
 酒田湊には、米の輸送や積みにおろしをした丁持という人々がいました。千人以上いた時期もあります。その人達が力自慢を競うようになり、角力の遠征興行もしました。幕末に活躍した月見崎権三郎は、五尺(151㎝)と小柄ながら横綱まで上り、気っぷもよく義侠心にも富んでいました。高野浜で丁持の口入れを始め、手下は二百人、喜鶴樓を営みました。戊辰戦争で子分を率いて激戦にも参加しています。

*聞き取り協力/平成25年10月4日 正徳寺住職・資料抜粋*

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