湊町さかた観光ガイドテキストブック 「ぐるっと、酒田 まちしるべ」

第八章 酒田港界隈
6.旧国立倉庫

成り立ち 酒田は古くから米の生産地として有名でした。この旧国立倉庫は、明治26年に建設された山居倉庫などの米の倉庫とは全く意味合いが違うものでした。大正10年、政府は米の需給バランスによって、米価が大きく変動するような不安定な状態からの脱却を考えました。一端全ての米を買い上げ、それから売却することを決定しました。その為、備蓄米を貯蔵する政府直営の倉庫が建設されることになったのです。

本間家の寄附 東北に一つの倉庫を建設することが決まり、あちこちで名乗りを挙げる中、本間家8代光弥は、1万2千坪の敷地を政府に寄付しました。脈々と本間家に流れる血筋がなしたことだと思います。国立倉庫建設は、酒田に決まりました。

建物の特徴 1926(大正15)年、約3万5千平方メートルの敷地に建てられ、鉄骨平屋コンクリート6棟とれんが造り2棟。天井までの高さは6.4m。天井の上には、鉄筋コンクリート板に銅板瓦が敷かれた屋根があり、壁の厚さは40㎝もあり、入り口の扉は三重構造、外部の温度や湿気の影響を防ぐようになっていました。床面には木煉瓦が敷かれ、壁には木枠が張られ、床や壁のコンクリートで米俵が傷つかないようにされていました。酒田港にも近く、JR貨物の酒田港線の引き込み線もあり、輸送の面でも充実していました。この倉庫には最大で20万石の米が入るとされました。

戦争時 太平洋戦争によって日本の戦況が悪化してくると、国立倉庫の米もなくなり、倉庫内では酒田日満工業学校の生徒が特殊艇の部品を作っていました。壁には迷彩模様を描き込き攻撃に備えました。

解体 平成4年まで米の貯蔵庫として使われましたが、役目を終え、現在は解体が決まっています。 ※平成26年度中に解体されました。

 *聞き取り協力 平成25年12月3日  資料より抜粋*

TOPページへ目次へ前ページへ次ページへ